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水槽から外の世界を見ているような気分になる
自分が感覚に浸食される現象を言語化している
不幸だということは、だから幸福じゃないということにはならない
水玉や網目など、恐怖や幻覚に由来するモティーフを強迫的に反復・増殖させることで、恐怖を描き尽くし、その中に自己を溶かし込んでいく という考え方が印象的
今にまで生きる魔法の原点
受容したイメージこそが現実であり、見ている対象がどんな形をしているのか定義することはできない。
言葉への執着
欠乏状態からしか、恍惚は生まれない。であれば、禁欲、不安状態からしか、恍惚は生まれないのだろうか。
身体のスキルによって脳による選択は左右されるから、脳が身体を支配している〈ニューロセントリズム〉は絶対ではない。とある。細胞に意思があるかどうかわかればはっきりしそうだ。
人間の認識は、経験に頼るしかない。経験がシミュレートできるいま、人間の定義は変わりつつある?
地にあるすべての生命は受肉している。意識は、瞬間ごとに自らの身体(肉)を経験している。とあるが、肉を構成する細胞の意識はどうなのか?
イメージとは、対象がそこに現前していなくても、それを思い浮かべる意識のあり方そのもの。
都市のシステムをうごかす未知なる手をさまざまな角度から描きだしている
少子化の進行はアセンブリ指数と正の相関があるといえるのでは
感覚も商品として外部化されることによって、快不快すらも消費しているのかもしれない
パワフルな不倫
日常から非日常へ、自覚のないまま迷い込んでしまう
夢と現実を隔ててくれるのは意識というヴェールだけ
おままごとは他者の目によって完成するもの
読む幻視
性行の相手を異性に限らないとしたら、人はもっと自由になれる?
1行だけの章に真っ黒なページ、まさになんでもあり
この国の絶望についてのすべてが書かれていた。ゆっくりと死んでゆく列島にて、必要なのは、「希望創造」かもしれない。
実感のある格差社会。「都会のサバイバー」という表現が印象的
バブル時代の広告業界やモデルクラブなど、煌びやかな世界をのぞくことができる。パワフル。
これを読んで、ギロッポンのキャンティについ、行ってしまった。
ディストピアだとおもったら、写実だった
ミステリーでありながら、ファンタジーでも、ほらーでもあり、バロック絵画をおもった。
文学マトリョーシカ。1行が次の1行の意味を見出して、ようやく場ができる。
最後まで息が詰まるようなのだけれど、なぜか修学旅行をおもいだす。
不思議な世界を旅したようだった
上巻とは反対で、フォーカスから引いて俯瞰図になる。世界観が完成した後の余韻が印象深い。
俯瞰からフォーカスする視点が気持ちが良い。
とにかく泣いた
記号の組み合わせだけで美は生みだせない
道徳「美」というジャンルが誕生しつつあるのかもしれない
人間を証明する印鑑はどこにもない
物事は、心を通すことにより、ゆがめて知覚される。真実など、どこにもない。
だからといって、共同体的・身分制的に疑われざる規範を再建して、また昔みたいに東大寺の大仏殿を建てたり、ポトラッチをやったりする世の中に戻れるかといったら、これはたぶん無理でしょ
不条理は人生の本質
フクの語彙だけでかききった太宰の優しさを感じる
舟の上は魚しかいない。陸にも魚しかいない。
高密度な文章、文章による強制的な映像化
遊戯性による性的遊戯性の追求
「世界」なんてでっかい概念など存在しない
夢のコントロールが、人生を変えうる可能性。夢と現実の違いは、ただその連続性の有無にしかない、つまり、夢は同一の脳の中で繰り広げられる異質のドラマであり、それにより享受する幸福やストレスも自分自身のもの。
芸術とは世界へアクセスする鍵
私の心臓はコーヒー
全体主義国家の発端
芸術を手段にしてはならぬ
自分のアイデンティティは、その時の社会制度や潮流、トレンドによって変わる
美は脳みそによってカテゴライズされる
文字では共有できない「こんな世界であったら良い」を、画像を媒体に共有する
テクノ画像は、概念の共有のための媒体である
人生とは息絶えるまでの反復のことであり、その質と幸福の変数は、人と環境である。